1. HOME
  2. 歴史
  3. 益城の里 鎮座木山神宮 御由緒

益城の里 鎮座
木山神宮 御由緒

木山神宮は秋津川の右岸側に位置し、布田川断層帯に属する木山断層の南側から木山川の間に形成された緩斜面の下端部に鎮座する神社である。

現在、天照大御神・天忍穂耳尊・邇邇芸命・穂穂手見尊・鵜葺草葺不合尊・神武天皇の6神が主神として祀られている。相殿には豊命大神・天宇受売命・猿田毘古神・大己貴神・少彦名神の5神、境内には火之宮、恵比寿神社が祭祀されている。

天正13年(1585)の島津軍の焼打ち、寛保2年(1742)の木山町の大火により旧記や文献、その他資料が失われているため、創建や祭礼の多くは不明である。文政6年(1823)の「寺社木末間数改帳」 *1 からは、自然神として五穀豊穣や無病息災を祈願するために創建されたと考えられる。

中世期には阿蘇神社の末社となり天照大御神から神武天皇までの6代の神々の六の宮を勧請し、「木山宮六宮殿大明神」と称している。この頃に木山宮はもともと郷社であるが、木山地域を治める過程で地域神から木山郷の郷社として位置づけられるようなったと想定される。「木山宮」と略して称されるようになるのは江戸時代になってからである。

境内の建造物は、鳥居-神門-拝殿-本殿と直線上に配置されている。これらはいずれも平成28年度熊本地震によって倒壊した。なかでも本殿は、外れた木鼻の墨書より宝暦2年(1752)建立ものであり、構造形式は三間社流造、向拝付、正面唐破風・千鳥破風、妻側三手先組物、高欄付、腰組である。現在、屋根は銅版葺であるが当初は杮葺である。
この他、多彩の彫刻が施されるなど軒廻りにみられる技術は非常に高いと判断される。

指定に向けた調査中であったが、今回の地震により倒壊した。妻飾り等及び外れた各部材は、再利用が可能である。

木山神宮周辺は米や材木の集荷拠点地として栄え、盛時には約130軒の店舗が商店街を形成するなど木山町の中心地であった。毎年3月の2日から4日には、益城町に春を呼ぶ風物誌として、「木山初市」が開催されている。

*1 「地神5代より人皇ニ至而、神武天皇以来、六代之尊神を崇奉り、御神号大名神と称し奉り候処、中古以来、阿蘇六ノ宮勧請ノ由、申伝来候処、天照大神ヨリ神武天皇迄六代之尊神を勧請仕候由、旧記に相見え申候、其段阿蘇へも相達置申候、(以下略)」

【備考】 本殿は熊本地震文化財ドクター派遣事業の2次調査対象物件。

平成二十九年十月十七日 木山神宮秋季例大祭
【益城町重要文化財(史跡) 指定】

平成三十年四月十三日 木山神宮神殿 分解格納調査事業安全祈願祭 斎行
【平成二十八年発災 熊本地震 全壊神殿 復元事業着工】