木山神宮に新たに銅板職人の仕事の音が木霊する
‘’屋根軒付き作業開始、夕陽に照らされキラキラと輝く神殿‘’
7月に入り、境内では朝から蝉が大きな声で鳴き始めました。
そして愈々、神殿屋根の銅板葺きが始まっております。
額に大粒の汗して、職人が一枚、一枚、銅板を加工しては、大切にそして正確に輝き、葺かれてゆきます。
※「歴史とともに変化してきた銅板葺き」
我が国で銅を建築に使用し始めたのは飛鳥時代と伝えられています。当時は日本で銅が採れなかったので、寺社仏閣のごく一部にしか使われていませんでした。その後、室町時代から日本で銅が産出され、建物の飾りや金具に使われるようになりましたが、銅を薄く伸ばす技術を持った職人が少なく屋根に使われることはほとんどありませんでした。
屋根として使われるようになったのは江戸時代からです。
「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほどに江戸時代は火災の多い時代でした。その為、大切な経典や宝物を火から守るために屋根を茅葺から銅板に葺き替えることを幕府が提案し、寺社仏閣の屋根は銅板葺きが主流になったといわれております。
木山神宮の屋根も創建当初は茅葺屋根ということが調査より判明しております。
神社・仏閣の屋根と言ったら落ち着いた(緑青色)が思い浮かぶと思いますが、葺きたてはピカピカで華やかなアカ色(赤橙色)です。酸化皮膜が発生していくことで色の経年変化を楽しみます。鉄の錆などとは違い、これ以上酸化が進まないため、耐久年数も粘土瓦と同等かそれ以上とも言われています。また非常に軽量なので建築物への負担が少なく耐震性が高い施工技術です。
今後、木山神宮神殿屋根は【六つ切り:6つに切り分けた銅板】と呼ばれる寸法にて 錺松 銅板職人が仕事を進めて参ります。銅板の定尺寸法【365mm×1212mm】で葺かれてゆきます。
本日は、鳶職の皆様方も銅板葺に合わせて、熊本特有の蒸し暑い天気のなか、足場の変更作業を行っていただきました。
静まる境内のそびえる素屋根の上から故郷を写すと、夕日が銅板色に輝いておりました。
【輝く益城町再興】
<木山情報情報>
▶ Yahoo!Japan 熊本地震 木山神宮支援ヤフーサイト https://donation.yahoo.co.jp/detail/5071001/
▶ 公式ホームページ https://www.kiyamajingu-kumamoto.or.jp
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